2025/02/28 15:22
蜘蛛の糸
一
ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
やがて御釈迦様はその池のふちに御佇みにな…
2025/02/28 15:22
杜子春
一
或春の日暮です。
唐の都洛陽の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。
若者は名は杜子春といつて、元は金持の息子でしたが、今は財産を費ひ尽して、その日の暮しにも困る位、憐な身分になつてゐるのです。
何しろその頃洛陽といへば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだしつきりなく、人や車が通つてゐました。門一ぱ…
2025/02/28 15:22
山月記
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の…
2025/02/28 15:22
蠅
一
真夏の宿場は空虚であった。ただ眼の大きな一疋の蠅だけは、薄暗い厩の隅の蜘蛛の巣にひっかかると、後肢で網を跳ねつつ暫くぶらぶらと揺れていた。と、豆のようにぼたりと落ちた。そうして、馬糞の重みに斜めに突き立っている藁の端から、裸体にされた馬の背中まで這い上った。
二
馬は一条の枯草を奥歯にひっ掛けたまま、猫背の老いた馭者…
2025/02/28 15:22
美少女一番乗り
一
「――えイッ」
叩きつけるような気合と共に、空を切って白刃がきらめき、人影が入り乱れた。
「えイッ、とうッ」
「わあっ」
凄まじい絶叫と悲鳴が聞こえ、小具足を着けた追手の武者三人が斬倒された。――残る一人が思わずたじろぐ隙に、追われている若い武士は身を翻えして楢林の斜面へ駆登って行く。
「待て、逃げるか、卑怯者ッ」
ただ一人残った追手の武者は、うわずった声で叫…
2025/02/28 15:22
日本婦道記 糸車
一
「鰍やあ、鰍を買いなさらんか、鰍やあ」
うしろからそう呼んで来るのを聞いてお高はたちどまった。十三四歳の少年が担ぎ魚籠を背負っていそぎ足に来る、お高は、
「見せてお呉れ」
とよびとめた。籠の中にはつぶの揃った五寸あまりあるみごとな鰍が、まだ水からあげたばかりであろう、ぬれぬれと鱗を光らせてうち重なっている、思いだしたようにはげしく口を動かすのもあり、と…
2025/02/28 15:22
梅雨紀行
發動機船は棧橋を離れやうとし、若い船員は纜を解いてゐた。惶てゝ切符を買つて棧橋へ駈け出すところを私は呼びとめられた。いま休んでゐた待合室内の茶店の婆さんが、膳の端に私の置いて來た銀貨を掌にしながら、勘定が足らぬといふ。足らぬ筈はない、四五十錢ばかり茶代の積りに餘分に置いて來た。
『そんな筈はない、よく數へてごらん。』
振返つて私はいつた。
『足らん/\、なアこれ……』
其處を掃除し…
2025/02/28 15:22
自転車日記
西暦一千九百二年秋忘月忘日白旗を寝室の窓に翻えして下宿の婆さんに降を乞うや否や、婆さんは二十貫目の体躯を三階の天辺まで運び上げにかかる、運び上げるというべきを上げにかかると申すは手間のかかるを形容せんためなり、階段を上ること無慮四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現…